前の続きになります。
翌日さらなる異変が起きた。
朝起きて熱は37度付近のまま変わらず。しかしとにかく体が怠い。前までより悪化していた。
元気を出してて支度し家をでると・・・
駅までの距離ががいつもよりとにかく長く感じた。
一歩一歩が重く、呼吸も荒れ頭も重くつらい・・・
明らかに感じられる動悸
早く目的地についてくれとしか考えられなかった。
駅に着き電車に乗り込むと速攻で空いてる席を探し座って休憩した。
(同じ話が繰り返し出てくるが、この時も微熱で体力が落ちたからだと思っている)
そのあと大学まで自転車でいままでと同じように、スピードが出ず、追い越され、つく頃には疲れ切った。
大学の机に突っ伏して休憩した。
この時にはもう学食は小を頼んでもなんとか食べきれた程度になっていた。
大学も終わり駅に着き帰りは行とは違い疲れがより溜まっていたせいか
立ったまま電車を待つことが不可能だった
圧倒的疲労感、動悸、息切れ
朝の通学時なんかとは比べ物にならなくなっていた。
立っていると、足に入れる力も減り、いまにでも膝が折れて倒れてしまいそうでした。
列の中で地面に座るわけにもいかない。
なのですぐに空いている椅子を探した。
時間が時間なので人も増え空いてる席もほとんどなく見つけた時には限界だった。
座っても座ってる姿勢がきつく、頭をできるだけ下げるために膝を抱え込むように丸まって座っていた。
そして自宅まで必死に歩いて帰った。
本当に息切れと動悸が激しかった。意識をなんとか保って家に帰った。
もう本当に立ってられなかったので家に着くとすぐに横になった。
(ここまで体調が悪いのならすぐに病院に行けばいいのになぜか自分は行かなかった。)
この日親からはそんなに異変が続くのなら血液の病気じゃないの?なんて言われた
そんなわけないだろなんてその時は思っていた。
(まさか当たってるなんて想像もつかない)
このような体調なのに後2日間大学に通った。
日に日に悪くなっていく症状
耐えきれない場面もあり午後の授業を受けずに午前中で帰ったりもした。
いつも寄り道するところにも行く余裕がなく帰宅せざるを得なかった。
体調が悪いのならば休むことも大切。
この時の経験から学べることはこれだった。
話が少し脱線する程度には、こんなにも体調が悪いのに何日も大学に行っていたのか今でも当時の気持ちがわからない。休み大切。
話戻ってこの体調が悪いとき酷く顔面蒼白だったのだろう教授から顔色悪いぞや友達からは死にそうな顔してるなんて言われたりした。それほどやばかったようだ。
このあたりで血液検査を受けることを決め病院へ行った。流石に行った。
採血した後1時間、結果が出た。
白血球数 430 ×10^2
標準数は 40~85 ×10^2 であることを考えると
430がどれだけ異常か 標準値がかわいく見えるレベルだ。
異常すぎてすぐにもう一度血液検査をした。
この結果が出た瞬間即入院が決まった。
その日中に点滴が始まった。針が嫌いだったので採血などは本当に嫌だった。
この日のうちに何回刺されたことか・・・
注射嫌いから汗が出すぎて点滴針を固定してるテープが付きにくかったと後で聞かされた。
(それほど注射嫌いなのでこれからの白血病治療はお察しである。)
ちなみに血色素は5.0 明らかな貧血だった
ここまでが私の白血病で入院するまでの話である。
この日とられた血液検査の結果
名称 | 標準値 | 単位 | |
白血球数 | 430 | 40~85 | 10^2 |
赤血球数 | 196 | 387~525 | 10^4 |
血色素 | 5.0 | 13~17 | |
血小板数 | 1.1 | 13~30 | 10^4 |
CRP | 1.17 | 0~0.2 | |
AST | 10 | 13~30 | |
ALT | 6 | 6~30 | |
γーGDP | 11 | 10~50 | |
CPK |
血小板数も相当低かった。前の記事で書いた抜歯の件もこの血小板数を見ると良く血が止まってくれたなと・・・
体調があまりにもおかしいならすぐに病院に行くこと。
数十メートルすら歩くことに問題が生じたときが最終ラインだったと思います。
今後熱が長く続くならば私はすぐに病院に行こうと思います。
今こう思い出しながら書いていると思うのですが昔の自分よくここまで異変に耐えましたね。自分ながらすごいと思います。鈍感なのかなんなのか
自分の事は自分がよく知ってるようで知らないような
次はこれからの入院の話を書いていきたいと思っています。
前→白血病記録異変1
時々リライトしていきたいと思います。 ありがとうございました。
コメント